2022年2月13日日曜日

10数年前の発表

 10数年前、旭川家具業界の企業に所属する中堅社員向けのセミナーがあった。

ともに学んだ受講生の多くが、現在業界内で経営者や各企業の要職についている。
2009年の年明け早々、そのセミナーの最後に旭川業界首脳を前に発表を行った。
僕はまだ独立はおろか退職すら全く検討していない頃。28歳。
その発表資料を見つけた。
当時まだ長原さんは健在だったが、敬愛する長原さんが残した「旭川をものづくり王国に」という言葉ととても近い「旭川をものづくりの楽園に!」をタイトルとしていた事は感慨深い。
そのための手段として、まだ東海大が募集停止を始めた頃で「ものづくり大学」開設運動が始まる前であったが、「市立造形大学」やデザイン思想を醸造するための「デザインミュージアム」、早い時期から教育機関での「デザイン教育」を提唱していた。
「旭川をものづくりの最高の環境」に整え、「ものづくりを志す若者たちの夢が叶う地域」にすることで、自然とより良いものづくりとより良い人材が集まり、地域と業界はエネルギーに満ちて活発になり、より良い製品が生み出されていく。
そうなれば世界中から注目を集め、自分達が海外に打って出るのではなく、世界から人が集まることによってグローバル化を成し遂げようという事。そしてそのような状況であれば、自ずと商業的にも成功するだろうという予測。
また、「ものづくり思想」とでも言えば良いのか、旭川でのものつくりの哲学、フィソロフィについて絶えず議論と検証が必要だと思っていた。「家具づくりびと憲章」は大変に重要だが、毎年のように議論をして再検証をし、自分達の中に刷り込んでいく必要がある。
また、短期間で「自分で」何かを成し遂げようというような発想ではなく、長く未来に向かって「次の世代に託し続ける事」で成し遂げようと発想していた。
悠久にそのような地域であるためには、一人の英雄による改革ではなく地域社会全体の変容が必要であるとの認識から、長原さんのいう「王国」ではなく「楽園」の方が好ましく思える。
まだ20代だったが、当時から自分の世代でどうこうという考えでは無かったようだ。
あの当時から産地育成という観点を強く持っていた。
そして現在も、自分で興した会社を経営しつつも基本的な考え方に変わりはない。
過去の自分の考えを振り返りつつ、今後の方針の策定に生かそうと思う。



















0 件のコメント:

コメントを投稿