2022年5月5日木曜日

「商店建築」に大丸札幌店「D's LOUNGE SAPPORO」が掲載

 昨年、壮絶なエネルギーを注いだ大丸札幌店の「D's LOUNGE SAPPORO」が月刊紙「商店建築」に掲載された。

この案件は、なんと内装設計から依頼をいただいた。

大丸札幌店の重要なプロジェクトの設計を小さな家具メーカーが受注するという快挙だが、思った通り死力を尽くして取り組んだプロジェクトとなった。

もちろん、家具と什器の製作も全てgauzy calm worksが行ったが、やはりスリル満載の製作納期のため、それまでに知り合った仲間たちほぼ全てのカードを切って立ち向かい、完了させたプロジェクトだった。

そんなプロジェクトだったが、商業設計の権威的な雑誌である「商店建築」に掲載していただき、なんと商店建築社のメールマガジンとホームページのトップ画像にもこの案件の画像を採用していただいた。この事は、専門的なジャーナリストにこのプロジェクトを評価していただいた事の証であり、とても嬉しい。

また、「商店建築」は自分には少し高価で若い頃は気になった号しか買えなかったが、独立して数年後からはずっと定期購読している。

そのような紙面に掲載していただいた事は感慨深い。

商店建築社と、担当していただいたライターさんに感謝します。

そして、プロジェクトの打診を受けてプロポーザルからずっと取り組み、プロジェクトの完了とともにgcwを去った原田君を称えたい。

また、プロジェクトを救っていただいたtopica竹内さんにも感謝を。

そして何より、私たちにプロジェクトを任せていただき、その後も最後まで一緒に走っていただいた大丸のプロジェクトメンバーの皆さまには心から感謝をいたします。


「商店建築」は全国の書店に並ぶ書籍ですので、ぜひご覧ください。








2022年3月25日金曜日

社内共有

 gauzy calm worksでは、決算書類もそのまま社内開示。

毎月の試算表をもとに、数字の全てを共有する。
正直に。真っ直ぐに。
と言うスローガン。
これはただモノを作る時の、外部へのアピールだけではなくて、内部に対しても。
一般に、勤めている人達で決算書を見る事なんてないもの。それどころか年間の売り上げすら聞かされなかったり。
それが、売り上げや原価、借入金や借入先、最終利益から役員報酬まで開示。
いかに本気で取り組んでいるかがわかってもらえるだろう。
経営者はさ、儲かっても赤字でもスタッフには隠していたいもの。ボーナス出したくなければ儲かってない事にしたいし、赤字なら信用収縮するし、スタッフの流出は避けたいし。苦しい事だけど、利益が出ないのは経営者の力不足の証な訳だし、認めたくないしスタッフには隠したくもなるよね。
だけど、儲かっているならば皆で自信を持ってもっと頑張ろう、勝ち取った利益があるならば、皆で分け合おうって。
苦戦しているのならば、皆で奮起して取り返そう。現在の力不足を受け入れて、成長を志そう。
そもそも、良い時も悪い時も、ちゃんと知った上で取り組んだほうが楽しいよね。
モチベーション、士気。それが会社と言うものづくりのチームの永続的な発展の根幹であり原動力。その維持向上を考えると、隠し事や情報の限定的な開示で誰かをコントロールしようとする事は、かえって悪影響。
創業経営者にとって、個人プロジェクトの延長として自身の利益と自己表現の最大化を目指す事は何の問題も無いのだけど。
僕の価値観はそうではなくて。
結局のところ、全てにおいて正直に真っ直ぐに、透明である事がその方法なんだと思う。



2022年3月11日金曜日

12周年

 12周年!

3月10日で、独立してから12年。
そして10年前に、隣から今の本工場に引っ越しをした。あの時、沢山の方々に助けて頂いた事は忘れない。
その頃の工場の画像を。
あの時はまだ原くんとも一緒になる前で、自営業で1人きり。
全くお金が無い時で、実は引っ越しどころじゃなかったんだよね。
工場の明かりも無く、捨ててあるような蛍光灯の器具を適当に繋いで。スイッチ入れたらブレーカー落ちたよね。
階段も無くて、ハシゴで上り下り。
2階は全体の照明を手配する事も出来なくて薄暗く、小さな窓しか無くて牢屋の様。
事務所は汚いビニールで囲ってファンヒーターをFFストーブみたいに。朝は寒すぎて、デスクの上に電気ストーブを上げて、パソコンもファクスも炙らないと動かない始末。
工場の薪ストーブは、鉄工屋さんが煙突をいつまでも取り付けてくれなくて、ストーブを貸してもらうも灯油を買うお金も無し。
そしてトイレも無くて、これは借金をして設備屋さんに水道を引き込んでもらって新設。何にも買うお金が無いのに、トイレに60万も掛かるなんて。
この頃は、朝8時から日付が変わる前に家に帰る事は無かったから、だいたい毎日16時間以上はここで過ごした。
あの頃、31歳だった。
独立したときは、まだ29歳だった。

会社に居場所を無くして独立して、12年を費やして、ここまで来た。

まだまだこれから、さらに楽しいものづくりの日々を目指したい。













2022年2月13日日曜日

10数年前の発表

 10数年前、旭川家具業界の企業に所属する中堅社員向けのセミナーがあった。

ともに学んだ受講生の多くが、現在業界内で経営者や各企業の要職についている。
2009年の年明け早々、そのセミナーの最後に旭川業界首脳を前に発表を行った。
僕はまだ独立はおろか退職すら全く検討していない頃。28歳。
その発表資料を見つけた。
当時まだ長原さんは健在だったが、敬愛する長原さんが残した「旭川をものづくり王国に」という言葉ととても近い「旭川をものづくりの楽園に!」をタイトルとしていた事は感慨深い。
そのための手段として、まだ東海大が募集停止を始めた頃で「ものづくり大学」開設運動が始まる前であったが、「市立造形大学」やデザイン思想を醸造するための「デザインミュージアム」、早い時期から教育機関での「デザイン教育」を提唱していた。
「旭川をものづくりの最高の環境」に整え、「ものづくりを志す若者たちの夢が叶う地域」にすることで、自然とより良いものづくりとより良い人材が集まり、地域と業界はエネルギーに満ちて活発になり、より良い製品が生み出されていく。
そうなれば世界中から注目を集め、自分達が海外に打って出るのではなく、世界から人が集まることによってグローバル化を成し遂げようという事。そしてそのような状況であれば、自ずと商業的にも成功するだろうという予測。
また、「ものづくり思想」とでも言えば良いのか、旭川でのものつくりの哲学、フィソロフィについて絶えず議論と検証が必要だと思っていた。「家具づくりびと憲章」は大変に重要だが、毎年のように議論をして再検証をし、自分達の中に刷り込んでいく必要がある。
また、短期間で「自分で」何かを成し遂げようというような発想ではなく、長く未来に向かって「次の世代に託し続ける事」で成し遂げようと発想していた。
悠久にそのような地域であるためには、一人の英雄による改革ではなく地域社会全体の変容が必要であるとの認識から、長原さんのいう「王国」ではなく「楽園」の方が好ましく思える。
まだ20代だったが、当時から自分の世代でどうこうという考えでは無かったようだ。
あの当時から産地育成という観点を強く持っていた。
そして現在も、自分で興した会社を経営しつつも基本的な考え方に変わりはない。
過去の自分の考えを振り返りつつ、今後の方針の策定に生かそうと思う。



















2022年2月5日土曜日

佐々木さんが逝った

 20数年前からの8年半、同じ職場で不毛な消耗戦を戦った戦友。

働き者。一生懸命、みんなで楽しく働くことが好きな人だったと思う。


永続と発展を夢見て戦ったけど、あの会社はもう消滅しちゃったから。

うちには佐藤さんも鈴木さんもいるから居心地も良いだろうって

「暇してるなら一日のうちのちょっとでも仕事手伝って!」


って電話したのは昨年か。


「りょうぞう、行けねよ。おれチューブついてんだぞ」


知らなかったよ、そんなに悪くしてるなんて。


「おいりょうぞうよう、覚えてるか?仕事の後でよ、ウエムカイの家で鍋したよな。仕事の話しながらさあ。楽しかったなあ」

「旭三の社長は先に死んじまうしよ」

って。

佐々木さんは電話の向こうで泣いてて、僕はケラケラ笑いながら涙はポロポロと。


「いやぁ、佐々木さん、もう死んじまいそうだからさ、その前に早く飲みに行かないとね」


って話をしたのが最後。

肺を傷めてるんだから、コロナになったら一発だと思って心配で。

ちくしょう、間に合わなかった。


二十歳で就職して、心に強く情熱と怒りを携えていたから。よく泣いたりしてた。

仕事中にボイラー室でサボりながら、一緒にタバコ蒸しながら色々話したよ。

忘年会で社長に怒りをぶちまけて撃沈して、死にそうなくらいに酔った帰りは家まで送ってくれて、途中でタクシー止めて口の中に手を突っ込まれてゲーゲー吐かされたな。

僕を殺す前に、勇気を出してもっと会社の根本を良くするために一緒に戦ってくれれば、って思うけどさ。


立場を悪くすることがあるかもしれないと思って、退職後はあまり合わないようにしていたのだけど。

あの会社の消滅と共に死んじまうなんて。

はぁ。佐々木のオヤジめ。残念。悲しい。70歳。涙。


最後に一緒に飲みたかったな。


コロナがも少し落ち着いたら、佐々木悟を偲ぶ飲み会をしたいな。




2022年1月27日木曜日

2022年1月20日木曜日

コワーキングスペースのデスク

 旭川市内に新たにできるコワーキングスペースのデスクの製作。

内装計画から関わらせていただいているのだが、大変な短期間でのプロジェクト。

なんとか製作もスケジュールに乗って、いよいよフィニッシュが見えてきた。


リノリウム天板に、ナラ。無垢のフレームを回して。


製作の担当は山口くんと友重くん。

あともう少し、がんばれー。