今日、手紙が届いた。
まさかと思ったが。
やはり、中学校の恩師だった。
僕は中学の3年間、彼女が担任だった。
兄と妹は僕と3学年違い。ちょうど入れ替わりでお世話になり、兄、僕、妹で木村家は5年連続で同じ先生が担任だった。
その5年間の初めのほうで父が死に、先生はかなり我が家の事を気にかけてくれていたと思う。
僕は、学業という意味では恩返ししなかった。
中学ですでに大学進学の意志は薄く、ものづくりの世界にあこがれていたから。
でも僕はもう学んでいたのだ。
誰のためなのか、何かを我慢して、苦しみながら働き、生きていく事は不幸だ。
不幸では家族を本当に幸せになんかできない。
自分のために、好きなことを全力で精一杯やっているからこそ、自分も家族もシアワセに導けると思っていた。
北海道に渡る時も、多くは否定的だったように思う。
でもそれはもちろん、僕の未来を心配してだ。
でも僕が見送る方ならば、簡単に負けて帰ってきたら残念に思うと思う。
だから僕は、普通以上の結果も持って茅ケ崎に帰ろうと必死だった。
25くらいの時に、旭川の訓練校の先生が入学ころの事を思い出して、
お前は地元に錦の御旗をもちかえるんだというばかりにギラギラしていた
と言われたことがある。
まさにそんな気持ちだった。
そしてそれが、それまで周りにいてくれた人たちを喜ばす最良の方法だと思っていたんだ。
柔軟な強い意志を持つ
というのは僕の信条のひとつ。だから、ある程度は流れに任せて生きてきた。
そして今がある。
多くの人に知ってもらいたくて情報発信を心がけている。
本当に仕事はまだまだ利益を上げるどころじゃなく厳しい経済状況だし、大変な助けを受けている状態だけど、それでも十数年間家具作りだけに集中して独立し、仕事をこなしていることを報告したかった。
僕の方から報告しないといけなかったのだけど、こうして先生から手紙をもらえたことはとてもうれしい。しかも、なんと先生も教員を退職し、花農家として独立していたらしい。http://slec.farming.officelive.com/misawa.aspx
何といっていいのか、同じものづくりの道を歩んでいるということが本当に感慨ふかくて。
今度地元に帰った時は、きっと訪ねて行こうと思う。
いつか必ず、地元で展示会はやりたい。その時はぜひ、先生の花で会場を飾りたいな。
しかしまずは、僕も手紙を書かないとだな。
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