あれから、あっという間に1ヶ月。
僕もロシアまで応援に。
大会の1ヶ月前頃からはいよいよ訓練も大詰めになり、各所へ表敬訪問に回ったり。
国際大会出場が決まった瞬間に懸念した家具組合主催の壮行会も無事に開催された。
壮行会は、ホテルの式場で恒例の「ロッキー」のテーマ曲での入場とパフォーマンス、そしてスピーチと苦手尽くし。
ロシアへの応援団は、匠工芸の桑原長老、ワカサの若狭さん、工芸センターの小関さん、建具職種の指導者の帯広学院の山下先生と。
旅路は長く過酷だったけども、皆さんとの旅はとても楽しくて、僕にとっても一生の思い出になりそう。
もう高齢で足も痛ましい桑原さんは、常に僕のリュックの持ち手を掴んで、僕は杖となって長い時間を一緒に。
山口くんの競技は、それはもう素晴らしいパフォーマンス。
身のこなしも表情も、同じ技術者としても惚れ惚れするほど。
毎日の報告をFACEBOOKにあげるために、僕は連日執筆を。
だから僕の撮影も、「記録」というよりは「雄姿」を捉えたいという観点で。
競技4日目の最終日、完成に間に合うかどうかという猛烈な緊張感の中、ぶっ飛ばすようなスピード感と精度でチョウバンの彫り込み加工と吊り込みを終え、引き出しの仕込みも終えて。
最後の20分程度はもう完成状態での研磨、仕上げ作業。
もう限界だろうというような勢いでの作業だが、勝利の時間に思えた。
競技終了が近づくと観客も大勢集まって、あちこちで国旗が振られたり合唱が起こったりと騒然に。
そしていよいよ終了の号令がなった瞬間、山口くんは一瞬顔を覆ってからガッツポーズを、その晴れ晴れとした表情に彼はやり遂げたのだと思った。
肩を組む山口くんと佐々木先生、そして完成した作品に光が差して輝いているように見えたのは本当。
そしてその光が、18年前の僕の技能五輪、完成させることが出来なかった僕の技能五輪へのトラウマを、霧散させていくのを感じた。
僕は涙が止まらなくて、とても感動的な時間だった。
だから翌日の閉会式で、9位敢闘賞は素晴らしい結果なんだけどメダルに届かなかったことはショックで、あのメダルを授与される華々しい壇上に山口くんをあげてあげたくて、とにかく悔しくて悲しくてホテルの部屋に戻ってから一人で随分泣いた。
FBに報告をあげないと日本で応援してくれている皆に申し訳ないと文章を考えると、競技終了の瞬間を頭に描いてまた泣けて、結局2時間程度しか眠れなかった。
競技の事などは、FBをご参照ください。
https://www.facebook.com/gauzycalmworks/
ロシアからの帰路は、各国の選手団に先に飛行機を取られて、応援団の僕らが2日ほど遅れた日程に。
その時に観光も。
帰りは、さあ帰ろうとホテルを出てから旭川空港まで27時間。
僕はすでに喉を痛めていたし、もう本当にクタクタになってしまった。
その後体調がイマイチ優れず、1ヶ月間ほど不調だったがようやく回復してきたのかなというところ。
復活して、力強く進んでいかなくては。
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