2013年1月31日木曜日

募集停止

ずっとスタッフの募集をかけていたが。

いよいよ決まった。


埼玉の訓練校に通っていて、春の卒業後、旭川に移住してくる。



仕事は有難いことに増え続け、とうとう一人ではどうにもならなくなってきて。
ところがまだまだ利益を出せるような体質になっていないから。

お互いに努力をして。


仲間も増えて、きっともっと楽しくなると思う。
そしてそれがいいものづくりへ繋がっていくんだ。

スタッフが増えて僕が楽になることはないだろうけど、出来ることが増える。



それにしてもまず、春までの激務をなんとか一人で乗り切ろう。

2013年1月25日金曜日

あと少し

食器棚製作中。


かちっとした細かな納まり。


初挑戦の真鍮の引き戸レール。
塗装後に固定するが、まずは仮組。




後は框とフラッシュの引き戸、扉、棚板など。

完成が楽しみだ。






設備投資!

引っ越し直後で相当苦しい資金繰りだが。
勢いに乗って機械を購入。

リップソー、縦軸面取り盤、プレス。
ホゾ取り盤も目星は付けているのだが、ホントに苦しいので少し保留に。


2013年1月18日金曜日

1月ももう半分が過ぎて

新しい年も、もう二週間以上も過ぎて。
 
 
やはり無垢が多いけど。
 
たまには合板も。
今は少ないけど、得意だ。
 
 
 
煙突ついてストーブ好調。
燃えが良すぎて薪が無くなる。
 
 
 
 
毎日精一杯家具作りが出来る。幸せだな。

2013年1月12日土曜日

ニューイヤーカード

遅くなってしまったけど、今年のカードを制作してもらった。




さて、宛名とメッセージを手書きしないとね。

実は手紙が好き。でもあまり遅くならないうちに出さないとね。







ところで今日。
お昼にラーメン食べに行って、途中の煙突やってくれた鉄工屋さんの前通ってやってるかなって眺めたら、確実に全体が焦げていて。シャッターとか焼け焦げて無くなってて、板でふさいでるし。どう見ても火事。


ラーメン食べながら、

鉄工屋に燃えるモノなんて無いよな、てことは溶接のガスに引火?爆発?おっさん死んだんじゃないのか、大丈夫か?

って心配になって。

ネットで調べたら、1月7日に出火の情報はあるけど、、、。




夕方事務所で作業してたら、ガチャってクマみたいのが入って来て。

ああ、鉄工屋さん。

呑気に 「この前の作業の時に忘れものしたべ?」って。


とっさにしばらくうろたえながら
「あの、大丈夫なんすか?」

「ああ、見ちまったか?」

「うん、ちょうど昼に。丸焦げで、こりゃマズイなって」

「ああ、だめよ全部だめ、丸焼けよ!機械も大体だめだべな。消火器まいたら炎上がって顔やけどしてびっしり水ぶくれよ。やっと腫れも引いたわ」
って力強く。

思わず爆笑。いつも酒飲んでるような赤ら顔だからあまり気にならないし。

「保険は?」

「建物は大丈夫だけど、中の機械はちょっとしかかけてないからよ、全く足りないわ!」
「もう止めちまおうとも思ったけどよ、お客さんはいて困らせちまうし、あちこち仲間から機械ももらえそうだからまたやるわ。とりあえず場所ももう確保したんだわ。」

って。このタフな人柄が好きで、煙突の納期の大幅遅延にも憎めなかったんだ。


「いやー、溶接のガスにでも引火して、おじさん死んだんじゃないかって思ったんすよ」

「これだもん、お前ら二人、煙突代払わないで済むって喜んでたんだべ?!」

「ちょっとだけ!」



自営業者が、自分の工場と機械が燃えるなんてまさに痛恨の極みだ。
しかし、わずか数日後には再起にむけて力漲るようで悲壮感は全くない。
心境を推し量れば涙が出そうなくらいだが、彼は力強く、62歳。

どんな逆境も、力強く明るく乗り越えよう。

その姿はきっとやれると周りを安心させ、協力や応援をしたくなってしまうもの。

火事にはしっかりと気をつけながら、僕も見習ってこの苦しい現状を乗り越えよう。





2013年1月9日水曜日

チェリー使用中




チェリーでソファの製作をさせて頂いている。
奥にはセットアップのセンターテーブルも。
 
 
 
 
 
GCWの主素材は道産のナラ。
商売上は同じ素材を使い続けた方が利益を出しやすいのだが、自分でも他の樹種でできたこのソファを見てみたいという気持ちに勝てない。
 
やはり自分はものづくりの人間なんだと思う。
 
 
このソファは特にアームに気持ちが注ぎ込まれている。
手加工も多く、とても繊細に仕上げている。
 
 
 
 
 
 
ところで独立して一人でやっていて、取り扱い金額が少ないとなんとも言えない気持ちにさせられることがある。
 
たとえばこのソファも。
椅子張りやさんに納期を飛ばされて、昨年中のはずが今日クッションを張ってくれて。
 
 
他の業者さんは、昨年最後の支払いで集金に来ていただく日程調整の電話で、
 
「今月いつ集金行ったらいいですか、たいした金額じゃないけど」。
 
なんて言われてみたり、発注の打ち合わせの電話中に、他の電話来たって切られてみたり。
 
 
 
 
さてと、がんばって沢山発注して大事にしてもらえるようになろう。

2013年1月7日月曜日

不具合

BLOGGERさんに不具合なのか、画像がアップできなくなった。
編集画面から、画像ボタンを押してファイルの選択画面にいくまではいいけれど、ファイルの参照ボタンが消えてパソコン内のファイルを選択できなくなって。

分かる方は教えて下さい。






年明けから旭川は大雪。
2日の夜なんかはどっさり降って、市内のタクシー会社が配車中止したほど。
新年会で街に繰り出していた人たちは帰宅困難者となったそう。

翌日は工場の前の道に除雪は入らず、終日車両通行不可。
4日になって道はなんとか通れるようになったけど、工場前のスペースの人力での除雪は諦めて。
大家さんの仕事はじめを待って、重機でお願いするしかない。


今日になって大家さん登場。
工場前の除排雪をお願いしたが、工場屋根の雪庇を落としてくれとのこと。

しょうがなく梯子登って屋根の上に。
腰ほどにも積った雪をかき分けながら。
雪庇は1メートルくらい張り出してるから、踏み抜いたらそのまま地面に落下。

僕は高いところが決して得意ではないから、腰が引けて、、、。


そんなことしてたらもうすぐお昼。

雪国って、仕事が多い。




2013年1月3日木曜日

2013

明けましておめでとうございます。




2013年になった。


日々が過ぎるのは本当に早くて。

2012年は。
この年も、全力で走り抜けたと思う。
勤めていたころも毎年確実に成長を実感していたが、比べ物にならない。


夏以降の忙しさは半端ではなく、ブログの連載も激減、ホームページは更新不能に。


途切れることなく製作の依頼を頂き、沢山の家具を製作させてもらえた。


そしてとても大きなこと。
工場の引っ越しをすることができた。

Bacanaとのシェアファクトリーという体制そのままでの移転。

もはや機材を購入して操業していたBacanaに、後から家賃折半という形でシェアさせてもらう。
そして2年半で、今度はGCWが機械の移動、配線などの電気工事、トイレの新規設置費用などの移転費用を負担する。

今の段階で、工場の建坪80坪のツーフロア、エレベーター付きの工場に移転できるなんて。
とてつもない程の生産能力を余したまま、今後の可能性は計り知れない。


僕にとって、シェアという選択肢が無ければ独立しなかったかどうかはわからない。

しかし、家具屋に勤務しながら独立資金を貯金するなんて不可能だ。
僕は全国の競技会で優勝した後に入社し、人生の関心の大部分を家具産業に向けて生きて、
業界からは技術的な評価ももらっていたと思われるが、妻と双子を扶養していた最終年収で260万円では生きていくだけで精いっぱいだ。

そういう意味で、独立に向けて情報収集の初期段階でBacana原くんの方からシェアの申し入れをしてもらったことは本当に有難かった。

だから今度は出来る限りGCWが負担させてもらうことになったのだ。


ちなみに、余力があっての移転ではない。
僕も新規に借入をしたから、これでめでたく多重債務で、家賃などのランニングコストも上がる。

Bacanaと共に火の車二台で走る事になるのだから、この工場はよく動く事になると思う。


2012年は、工場など生産体制を確固なものにするために大きな投資をしたが、札幌で2度の展示会や新作の開発などの投資も大きかった。個人経営程度の貧弱な経営では傾くほどにのめり込んでいる椅子の開発も継続中だ。
かけた時間分の収入にはつながらない見込みの針葉樹の事業も、遊びというには大変な負担だった。
儲かるとか儲からないとかは後で考えることにして、声をかけてもらった案件には出来るだけ応えようと思った。

すると、あっという間に一年が過ぎた。

残念ながら貯金通帳は去年とほとんど同じだが、この一年は大きな財産を築いた。
沢山の新規デザインの依頼も頂き、その経験が増したこと。
オリジナルの製品もラインナップを拡充してきたこと。
そして沢山の人に出会って、理解と協力を頂いたこと。




さあ、2013年、新しい年。

今年はなんとかスタッフを一人は迎えたい。
もっともっと沢山の人に自分の家具を見てもらいたいし、あまりお待たせせずに届けたい。



届いた年賀状の中には、カンデハウスの長原さんからも。
僕ら二人を旭川家具の新しい顔だと嬉しい言葉が。

僕は勤めていた会社に一生をかけてみたいと思うようになったころから、旭川家具の歴史などの本を読み、それからというもの猛烈な旭川家具の信奉者だ。産地形成ということへの関心はとても高い。
数年前の市のセミナーでの最後の発表会での僕のタイトル、「旭川をものづくりの楽園に」は本気である。


33歳で経営者になると言っていた。
今年がその年、人を採用していくことで近づくだろう。

しかし、道を誤らないように慎重に。
ものを作る理由をしっかりと見極めて。

効率良くとか、簡単にとか。この方が儲かるとか、楽だとか。

家具をつくる事に「慣れて」しまわぬように、感情を麻痺させぬように。

子どものような敏感な感情を持ったまま、だけども焦らずコツコツと、しっかりと良いものを製作して月日を積み重ねたい。


新しい一年もよろしくお願いします。