2017年12月29日金曜日

冬季休業

12月29日で2017年の操業を終了いたしました。


また、下記の日程で冬季休業をいただきます。

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12月30日から1月8日まで

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毎日忙しく、あっという間に過ぎ去って。
なんともう一年が終わることが信じられない。

夜も遅く、給料もなかなかよくできないけれど。
それでも10日間の連休を取れて、少しだけどもボーナスを出せたことは嬉しい。

もっともっと良い会社にしていきたい。

2017年12月1日金曜日

IFFT 2017

IFFT 2017が終了した。

ブログでの広報をする間もなく、終了の報告で申し訳ないです。

11月20日から22日までの3日間、東京ビッグサイトで。

ご来場の皆さま、本当にありがとうございました。



繁忙期に入り、工場の人を減らすわけにはいかないので妻と二人で。

前日の朝にトラックが会場について荷受け、搬入、設営。
朝イチに東京に着く飛行機の便がないので、さらに前日に東京入り。

最終日に撤去、再び梱包してトラックに積み込む。

翌日の23日は赤印ということもあってそのまま東京に滞在。
休みということで何をするかといえば、妻がまだ行ったことのないイケア、青山のカンディハウス、神保町の平安工房と家具屋巡りを。

そして24日に旭川に戻って。


人は好きだけど人見知り。
そして直前まで連日の深夜までの仕事もあって、疲労も相当。

ランプシェイドしか卸売りができない私たち、パッと成果なんて出ないけど。

だけど多くの方々に見ていただいた。
この展示会に出ることが大変なことなのは、みんな知っていること。
だからか、たくさんの方に応援の言葉も頂いた。

各産地、各メーカー、みんなライバルだけど、同じ家具作りをしている仲間たち。
皆で一生懸命やって、業界が盛り上がればと思う。
国内最大の業界の展示会、もっともっと盛り上がって欲しいし、僕らが出ることでほんの少しでも他のメーカーも自分たちもと思ってくれればと思う。

それに何より、日々苦しい家具製造の現場の毎日じゃ疲弊してしまう。
華やかな舞台があって、多くの来場があって、同業者たちの刺激的な発表があって。
まだまだ若い人たちが夢を見れるようじゃなきゃ未来は無い。

来年6月の旭川でのデザインウィーク、そして再び11月のIFFT。

継続して出展したいし、毎回しっかりと企画をしてワクワクと楽しみたい。


ちなみに、11月23日は14回目の結婚記念日。
独立のための修行で、東京に出るべきと思っていた20歳頃、一緒についてきてくれると言ってくれたこともあって23歳で結婚。
ずっと家具一筋の僕、支え続けてくれる妻。
それでも、展示会に一緒に出るなんてことは想像していなかったな。





























2017年11月7日火曜日

籐張りの扉のキャビネット 特注

籐張りのキャビネットの特注サイズを。














撮影スタジオを兼ねている隣の倉庫&木取り工場が、今年の春までの激務の間に散らかりっぱなしだったのを、なんとか撮影に耐えるだけ片付けて。

新しく買ったカメラ、自分たちで考えて作った家具を撮影することがとても楽しい。

最近、業務に追われていて。
工場長の粟村が実務3年目にして相当なプレーヤーに。
工場の皆の力もついてきて。

もっともっと楽しみたい。


2017年11月2日木曜日

冬季操業時間 変更

11月1日より冬季間、工場の操業時間の定時を

9:00 〜 17:30

に変更いたします。





今年から、冬の間の仕事始めの時間を30分遅らせることに。

慢性的に時間延長がある我が社。
既婚者は奥さんの援助もあって仕事に専念できるが、独身の若者は全て自分でやらないといけない。

掃除、洗濯、お弁当の準備など。
そこで、水曜日と土曜日はかなりの覚悟を持ってノー残業デーにしている。

そして冬。
自宅の除雪と工場の除雪、工場の暖房の火起こしと朝は仕事がたくさん。
朝は、既婚者も子供の保育園や学校への送り出しなどもあって、どこの家庭も火の出るような忙しさのはず。

そこで、30分遅らせてしまおうという事に。



もうすぐ、雪の解けなくなる時期。



2017年10月21日土曜日

繁忙期突入

いよいよ繁忙期に突入。

生産予定表がびっしりに。


そんなこともあって、最近工場に入る時間が増えて。
そしてこの有様、、、。




だけどやっぱり、製作は楽しいな。











燻製の差し入れいただいた。





2017年10月16日月曜日

温泉へ

工場の皆で、温泉に慰安に。

gccでは、なんだかんだ初めての取り組み。

工場からは車で1時間ちょっとくらいの近場だけど。
大雪山、旭岳温泉へ。

雨の予報も、相変わらずの天気に恵まれる僕ら。
見事な秋晴れで、紅葉が美しい。

通り道を少しだけ外れて、樹齢900年のカツラの木を見に。
心地よい森の中。


一泊の温泉旅行、新人歓迎会も兼ねて。

女性のパートが一名と、新人の男の子が一名、新たに加わった。
彼らのことは近々紹介するが。

ゆっくりお酒を飲んで、お風呂に入って、、、。
家族も一緒だったりで。

しばらく一人の会社で、シェアメイトの原くんとだいたいいつも二人だったけど。
いつの間にか、たくさんの仲間に恵まれて、こんな事が出来るようになって。



翌日は打って変わって急激な冷え込み、雪が。

厳しい環境だけど、やっぱり綺麗だな。














2017年9月25日月曜日

掲載情報

「小さな会社のブランディングブック」という書籍に、カギカッコさんにお願いしてる広報の取り組みを掲載していただいています。
全国の書店で販売されています。
ゲンマさん、越田さん、池端さんの素晴らしいお仕事に改めて感謝、ぜひご覧ください。


函館方面に研修に。
同業の先輩がたと、成型合板の特殊技術を持っている会社の訪問に。
長い道のり、片道450キロ、ちょうど台風と行き違いに。
道中で2度、高速道路の通行止めにあいながら。

とても親切に、ご案内いただいて。
木工の人たちは大体、同業であっても訪問者を暖かく迎えてくれる。
だから僕も、誰か訪問があれば同じようにしなくてはいけないと思っている。

そんな帰り道、行ってみたいと思っていた大型書店に立ち寄って。
店内を流していたら何だか目に覚えのある感覚が。
目を凝らすと、面出ししている書籍の表紙の一部にGCWが。
立ち寄りたいと思っていた全国区の話題の書店で、何だか嬉しい驚き。














工場では無垢材で、仕口を立ててやるような仕事も。






そして新人も。
とても楽しみな若者、大事にしたい。

また、新たに女性のパートタイムスタッフも。
3日目くらいにはすでに自分好みの研磨ブロックを作っていて、創意工夫を感じさせる。
素晴らしい人が来てくれた予感。

GCWが次のステージに行けるような気がする。





2017年9月4日月曜日

歴代技能五輪国際大会選手が集合


今年、技能五輪国際大会の開催年。
開催地はアブダビ。

今回も家具職種は、旭川の家具業界から選手を出す。
6大会連続で、しかも旭川家具組合の所属企業から。

選手は有限会社ワカサの下條くん。
その壮行会が、もう間近に迫って。

選手を送り出すために旭川から近年出場のメンバーがGCWに集まって。

2001年の僕、その後2大会は他地域に譲って2007年からの出場者たち。
全て全国大会の優勝、もしくは準優勝者。

脈々と続く旭川家具の挑戦の成果、至宝。
これからもこのメンバーが増え続ければいいな。




2017年9月1日金曜日

インターンシップ

今年も、インターンシップに数名が。

今年最初の1名は、メンバー入りを念頭に入れたトライアルで、実は7月の末に。
彼はもはや入社が決定している。


そして、8月。
先週から京都と札幌の大学生が、たまたま同じ時期に。
今週から1名入れ替わって、今度は僕の母校の高等技術専門学院から。

来週は秋田の大学から。

インターンではなく、訪問も受ける。
再来週に埼玉の大学と筑波の大学。


若い学生に注目してもらえることはありがたい事。
















若者たちは将来に悩み、不安を抱えながら。

正直なところ、しんどい職業ではある。
多くの人が日々の業務をこなしてくうちに、業界への理解を深めてだんだんと心が冷めていってしまう。

だけど。
自分の中の情熱を守りながら、一生この職業をやっていくんだという覚悟を持てば。

ある程度何かを諦めれば。
例えば充分な収入とか、アフターファイブを楽しむ生活とか。

そしてものづくりを楽しみ夢を持ち続けられれば。

こんなに楽しい職業はない。
一生を捧げるに惜しくはない職業だと思う。

使う人の生活の道具として、とても身近で暮らしに密接な道具を、設計から製作まで全部自分でできる。
お客さんに会って要望を聞いて、自分で届けられる。
数多の選択肢、尽きないデザインの可能性、もちろん実現するための技術の追求。
そして、やりようによっては十分な収益もあり得る。

こんなものづくりは他にはないのではないか。


若者たちには、覚悟を決めてこちら側に来て、そして共に切磋琢磨するものづくりの仲間に加わって欲しいと思う。





2017年8月19日土曜日

お盆明け

お盆休みも明けて。

今年は5日間のお休みを。

連休を取れるたびに思うけど、ほんの数年前、独立から何年間はほとんど休めなかったなとしみじみ。
ゆっくり家族と休めて、遊べることが嬉しい。

人数が増えたから、まともになってきたという感じ。



さて、仕事の薄い夏場とは言っても、取引先からの依頼はあって。











受付カウンター。
まだ2年目、3年目のメンバーたちで、問題もなく。

小ぶりの方だし、今後はまだまだ大きくて複雑で難しいカウンターもやるだろう。

どんどん出来るようになっていくメンバー達を見ると心から嬉しく思う。




2017年8月4日金曜日

お盆休み

8月11日(金)から15日(火)まで夏季休業いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。




さて、先日。

毎年のこととは言え、夏は受注が落ち込む。
在庫の製作や工場の備品の製作、レイアウト変更や片付けなどやることはいっぱいあるのだけど。

今のうちに、と思い立って再び平日に工場を閉鎖して石狩、札幌、栗山、岩見沢と見学ツアーに。
インターンシップの学生もいれて8名、まだ車一台で出かけられるとレンタカーを借りて小さな修学旅行に。

規模の大きいソファ工場の見学と一人でやっている仲間の工房。
札幌の取引先のキッチンメーカーのショールーム。
椅子に特色を持った特注メーカー。
そして最後に、夫婦二人の仲間の工房。

初めて伺ったメーカー2社。
数日前にアポを取ったとはいえ、突然大勢で見学に押しかけたのにとても暖かく迎えていただいた。
窓口となって案内していただいた方はもちろん、工場で作業している方まで暖かく。

一般的に、案内してくれる方は普段からフロントに立つ人なのでそれなりに愛想も良いことが多いのだが、工場の人が無愛想で挨拶をしてくれなかったり、死んだ目をしていたりという工場は、意外と多いもの。

それが、フロントの方の親身な人がらが感じられて、そして工場の方々も暖かい雰囲気で迎えてくれる工場は、もうそれだけで素敵に感じてしまう。
会話を交わしてもいないのに、車に乗り込んだら工場の出口まで来て見送っていただいたり。
そんなところにも感動をして、だからうちの工場に誰かが来た時は暖かく迎えたいと思う。


仲間の工房も。
楽ではないだろうけど、それでも笑顔でユーモアがあって、そして実際に作っているものがとても綺麗に仕上がっていて。
本人の見た目とは裏腹に、優しく丁寧に仕上げられた椅子。
出荷前の製品を見て、触って。
間違いなく作り手の心意気、ものづくりへの愛情を感じる。

もう一つの、夫婦の工房。
久しぶりに立ち寄った工房は、外壁から屋根までしっかりと補修がされていて。
それなりの経費がかかったことは間違いなく。仕事のために車も替えて。
そして展示のために当初の住居を撤去して工事中。

夫婦二人でやれる業務を想像すると、もう過剰投資というくらいつぎ込んでいると思う。
もう泣けるくらいの情熱。

工房の近くの居酒屋を予約もしてくれて、楽しく食事もできて。

同業の仲間は、圧倒的に母校の同窓が多い。
彼らの頑張りは僕にとって大きな刺激で、原動力にもなっている。


このような全社をあげての研修も、一台の車に乗り切れる今くらいの規模までが限界かもしれない。








2017年7月6日木曜日

IFDA 2017 そしてデザインコンペティション

10回目となったIFDA(国際家具デザインフェア旭川)、そしてデザインコンペ。 

先輩方が30年必死に継続してきた旭川の宝物、何としても11回目以降も継続させて欲しいという強硬論を唱えている立場もあって、今回は苦しい試作製作を2作品担当。
 gauzy calm worksの今回の担当者は若きエースの現工場長の粟村と前工場長の原。 

粟村が担当した作品のデザイナーは大御所の今崎務 氏。
知る人ぞ知るクソジジイではあるが、しかし憎みきれない愛嬌と魅力を持った、やはり偉大な方。 

gcwのような旧世代の加工機械しかない工場でも、CADとの連動が求められるために図面補助で旭川のビッグネームの一人、中井 啓二郎さんに間に入ってもらって。

 その中井さんをとことんやっつける今崎さんと若手のgcwとのものづくりは、奇妙な連帯感を持って進めることができて。
 とはいえ超繁忙期の中での試作製作(閑散期と繁忙期での月間売上高の差は締め日の関係もあるが8倍にも!)、工場長の責務にある粟村は「工場の生産を落とすわけにはいかない」と自ら時間外に試作製作。

 工場長に就任した年に、マネージャーとしてもプレーヤーとしても最高のパフォーマンスを発揮した。
実務経験若干2年そこそこが、しかし工場の管理もIFDAの試作も見事にこなした。
天才という言葉が浮かぶほどの活躍ぶり。 

また、記録が少ないが(カメラの盗難もあって)原の試作も素晴らしい出来栄え。
 実は彼も、本格的に椅子を製作するのは初めて。すでにパートタイムの彼は昼間の製作で少し時間はかかったが、見事に作り上げた。 
時に必要以上とも感じるほど精度を求める彼は、やはり作り手として非凡なものを持っていると確信できる。 

それにしても、今年80歳の今崎さん。
 若手の登竜門とも言われる旭川のコンペに果敢に挑戦。
賛否はあるかもしれないが、未だ挑戦者という姿勢は見事なもので、見習わなくてはいけない。 

「本来なら僕こそ審査委員長にふさわしい」
と言い出す今崎さん。 

「それがなぜそうならないか、わかるか??」 

と問う夜の居酒屋で、一杯のビールを数時間をかけて飲みながら大好物のホッケをほうばる大御所は

 「それは人徳だよ。僕には人徳が無いんだ」 
と結論する。
 返答に困って思わず笑ってしまたが、ああこの人は不器用なともろもあるがまっすぐな人なんだなと感嘆する。
 そしてもちろん、食事の支払いは一切しない。

 試作はまず原寸モデルを作成して各所を検討し、それから本格的な試作を。
 修行したインテリアナスで学んだとおりの工程。

 デザイナーの印象としては、とにかく粘る。非常に粘る!

打ち合わせをして方向性を確認した翌日から数日後に、それを覆す連絡が。 
出来るだけデザイナ−の意向に沿ったものを作り上げたい、というのが本当のところの製作サイドとしての思い。 
しかし時間と予算の制約上、一度のモックアップの次には提出用の作品の製作なのだ。 
強度的には安全圏にいたいというのも製作サイドの本音。 

それが、提出当日の午前中に電話。 

「後ろ脚なんだが、どうしても気になってな。あれじゃあ、やっぱりだめなんだよ、あの脚を外して作り替えてくれんか?」

 「その話は打ち合わせの時にしたじゃないですか。それでは強度が不足する。だからこのような形状、構造にしたと説明しました。ええ、できますよ、そのような脚をつけることは。でもそれは壊れる椅子です、座れない椅子です。今からでもこの脚をぶった切って、ちょっこと脚みたいなのをつけることはできますよ。でもそれは、この椅子をぶっ壊すのと一緒ですよ」

 という問答を、もう提出期限の数時間前に。 

全く収益にならない試作製作の中で、工場の大事な取引先の厳しい納期の製作に追われまくって殺気立っている時。
 デザイナーさん、きっと、本当にずっとこの椅子のことを考え続けているんだろうな、と感心もするが。

 試作の現場は、ものづくりの難しさはもとより、デザイナーとのスリリングな戦いも繰り広げられるのるのだ。 

そんなこんなでも、作品はちゃんと期限に提出。 

結果は、本当に残念ながら担当した2作品とも受賞を逃して入選止まり。

 原くんが製作したチェアは、裏話によると今回新設された「長原賞」に最後まで競ったそう。 
これは金賞をとれなかった以上に本当に悔しく、少し泣いた。

 審査後には、東京の今崎さんの自宅兼事務所に訪問も。

 今崎さんという人柄と触れるこたができたということが、きっと一生の思い出となる気がして。


さて、IFDA、デザインコンペの試作製作。

 僕自身の取り組みは勤め時代からの2005年から。 

若手による仕事の時間外での個人的な取り組みとして試作をするようにとのお達しが会社からあり、任されることに大きな喜びを見出していた僕はいきなり2作品を一人で担当。

 24歳、土日祝日はもとより昼休みも惜しんで試作を。
 成型合板の実験を繰り返して。 

2008年、部下後輩を率いて3作品を。
 命を落とすのではと思うほどの厳しい日程での試作。
当時の実感として、会社からの援助は皆無。妻が何度も、夜中に東川まで全員の分の差し入れのおにぎりを持ってきてくれた。 ああ、本当に、勤め時代から支えてもらっている。

この時、一ヶ月での時間外は本業と合わせて200時間を超えたのではいか。
慎重にデスクグラインダで成形中に意識を失って安全装置を摘出した機械を膝に落としたことを覚えている。

 あの時の仲間は、戦友として特別の思いがある。 

この年、同い年の後輩が担当した作品が金賞に、僕が担当した作品は銅賞に。 


2011年。独立直後。
 全く資金に余裕のない時に、 「とりあえず試作検討会議に顔を出すように」 とは親分、ナガハラさん。

試作検討会では、苦しさが十分わかっているから手をあげることができずに、吐き気を覚えるほど。

じっと黙ってやり過ごそうと思っていたところ、事務局に見つかって。
「手ぶらでは帰れんぞ」
との声も聞こえて 結局試作を担当することに。

この時、家具組合にはまだ非加盟。
非組合員でなおかつ個人工房での試作受託は僕のみ。

 しかもその直前に手押しかんなに左手中指を噛みつかれ、爪の根元から切断。 
包帯を巻いて試作に臨んだ。 
この時も苦しかったが、やはり良い思い出に。


2014年。 
いよいよ会社の仕事も忙しくなり、試作製作を請け負ったにもかかわらず難しい状況に。

 外部の方にも協力してもらってなんとか形に。 

この時の作品のデザイナーは、一次審査を数点も突破させた若者。
川内 隼人 氏。彼は必ず大物になると確信しているが、彼のキャリアの初期に出会えたことは幸運だと思う。 


そして今回。 

振り返ってみて、IFDAは本当に苦しい思い出。
 3年に一度来る難関。

でも、苦しい思いほど忘れられない良い思い出になるもの。

 だからこそ、人一倍に愛情があるのかもしれない。





 IFDA展示会場の様子。
























試作の様子。








デザイナー、今崎さんが工場に来ての打ち合わせ。











設計協力の中井さんと。








仕事が落ち着いてから、今崎 邸の訪問を。
さすがに、かっこいいご自宅。

やっぱり、すごいじいさまなんだなと。





この後、昼飯を食いに行こうと言ってご友人の老人を誘い(有名美大の元講師)中華料理屋に。
メニューは勝手に選んでくれて、ちゃっかりビールも飲んで。

若干恐縮して頂いて。
そして会計の際にしれっと消える老人二人。

いろいろと勉強になる。







IFDA展示会で作品プレゼンする大御所。






旭川家具の企画展。
長原さん、、、。

やはり、僕は好きだった。
とても大きな影響を受けている。

上遠野徹 設計のご自宅を見たいと駄々をこねて、お正月にご自宅に食事に招いて頂いたことが懐かしい。

「君たちが旭川家具の顔になりつつある。もっともっと頑張りなさい」
と言って頂いたことも。

セミナーや講演会、できる限り参加してお話を聞いてきた。
それまで実用書ばかりで小説は読まなかったが、人生にも大事で、その上仕事にも生きるぞと言われ、司馬遼太郎の世界観には影響を受けていると聞き、僕もその後何タイトルも
司馬遼太郎を読み、今ではほぼ唯一の趣味は読書となった。

もっともっと、いろいろ話を聞いてみたかったな。
毎月あった家具組合の注文部会でも、幹事で精一杯でなかなか話ができずに。
任期が終わったらゆっくり話ができるかなと思っていたのに。













そしてIFDAの軌跡。
僕が旭川に来た1999年。この年もIFDA、3回目の年。

あの時、10回目なんて永遠に来ないと思っていた。
空飛ぶ車が登場する頃のような、非現実的な未来だと思っていたのに、本当にこの時が来るなんて。