北海道予選から挑戦していたgauzy calm worksの安藤 哲平が、出場選手30名の頂点に立ち見事金賞を受賞した。
応援していただいた皆様、本当にありがとうございました。
朝早くに、大勢の方々に見送りをしていただいて。
開会式では、各都道府県選手団の中から1名のみがそれぞれの旗を持ち、入場、行進。
北海道選手団では、安藤くんが旗手を務めた。
家具職種全30名で、安藤くんはゼッケン番号が1番。
何か特別感のある出だしだが、スポーツの五輪では旗手は金を取れないジンクスは内緒にしておいて。
競技は、標準時間11時間30分、打ち切り12時間を二日間で。
課題は事前に公表され、競技当日に若干の変更を加えるというもの。
昨年とも図面の内容は大きく変更されている。
正直、僕が出場した2000年の時の課題よりもはるかに難易度と仕事量は増えている。
練習しなければ、ベテランであっても時間内での製作は困難だろう。
時間内での製作が、まずは大きな難関となるだろうと予想していた。
選手たちの所属を見れば、名の知れたメーカーも多く、また訓練校や技能系の大学も。
いざ競技が始まってみれば、どの選手の表情も引き締まり、目からは真剣さが、動きからは相当な訓練をしてきたことがうかがえる。
自分たちの職業で、若者たちの競技中の姿は胸を打ち、すでに感動的である。
当然自社や北海道の選手を応援してしまうが、すべての選手の健闘を祈らずにはいられない。
旭川からは3名の選手を、3社から送り出した。
小さな会社ばかりなので、会社の中での訓練はどうしても難しい。
そこで、旭川高等技術専門学院で選手を受け入れていただいて、1月半ほどの訓練をしていただいた。学生の選手を出していないにも関わらず選手を受け入れていただいた事に感謝が絶えない。
課題に対する直接の指導は、学院の先生にお任せして余計な口出しはしないようにしていた。とにかく先生を信頼して先生の言う通りにしなさいと。
ただ、少しきつめにプレッシャーをかけて。参加することだけに意義は無いと伝え、全力で、本気で取り組んで、プロとして何としても成果を出すんだという心意気を持つように。
「何の練習をしているんだ?」
と聞けば
「金を取る練習です」
と答えるように。
さて、安藤くんは。
札幌出身だが、中学を卒業して早くも親元を離れて全寮制のおといねっぷ工芸高校に。
15歳から鉋やノミに親しんでいる。
高校卒業後は富山県の職藝学院の家具建具コースに進み学んでいる。
本人も手工具が好きで、履歴書に特技は鉋研ぎと書くほど。
なるほど手工具の扱いはすでに相当な技術者で、おそらく僕よりも上手い。
そんな彼の人柄は、決して外交的なタイプではないが、インターンシップで来た時から休憩時間などでの皆の談話に耳を傾け、話に入ってこようとするなどコミュニケーション力は充分。
頑固なところはあるが、全体的に素直で非常に真面目、放っておいても決してサボることのない努力家。
遅刻などの心配をしたことはなく、ほぼ毎日平均して余裕のある時間に出社。
良い人格を身につけていたが、入社当時はメンタル的に貧弱な印象も。
それがわずか数ヶ月で、かなりハードな仕事環境にも粘り強くついてきて、精神的にも体力的にもたくましくなっている。
彼を知っている人ならば、見違えるのではないだろうか。
そんな安藤くんは競技1日目から安定した進捗。
外野としては周りが気になるもので、他に目立って早い選手がいたりと安藤くんに突出した印象は無かったが、大きなミスもなく順調。
初日終了後、鉋を研ぎたいとホテルに鉋と砥石を持ち帰ったのは彼だけではないだろうか?
二日目。
あっという間に時間が過ぎていく。
会場のあちこちで組み立てが進み、次々と形になっていくので見ている方も楽しい。
しかし時間はどんどん過ぎて、なんだかこっちもずっとソワソワ。
安藤くんは作業台の上や周りも整頓して綺麗な状態をずっと維持していたし、何かにつまづいたような様子もなく、安定して作業を進めていると感じていた。
しかし彼の作業場所は1列中に入っていて、観客の通路から出来栄えまではよく見えない。黙々をこなしているが、自信が漲っている様子でもなく、何とも言えないまま進んで行って。
課題の提出は標準時間の5分前に。まだ仕込みなど残っているのかと思っていたところだったので、予想外。
寸法の確認などもして、少し余裕を持てた状態でのフィニッシュだったようだ。
その表情は、やりきった満足感が出てはいたが不安も感じている様子。
本人は気になっている点を幾つかあげるが、大きな減点は無いなという印象。
気が張っていて高みを目指している時は、小さなミスを気にしてしまいがち。しかし後で見れば自分でも驚くほど些細だったりする。
練習の時から気づいていないような仕口の中での大きな減点や、思わぬ規定違反がなければ上位に入るはず、敢闘賞以上は間違いない、あわよくば3賞以内にと思いはいくが、やはり僕も不安。
さていよいよ翌日の結果発表と閉会式。
僕の時は事前に結果が掲示されたのだが、最近は事前発表はなく、式典の中でのサプライズ発表方式。
41職種が一つずつ順番に、敢闘賞から、銅賞、銀賞、そして金賞と発表されていく。
涙を流しながら登壇する選手も多く、その姿に感動しながら、家具職種の発表を待つ。
いよいよ家具職種の発表となり、敢闘賞、銅賞、銀賞と安藤の名前を探すも無く、息の詰まる金賞の発表。
まさかありえるぞという思いと、もしも入らなかったら可哀想だな、なんて言おうかなという思いで、むしろ恐怖の瞬間。
「北海道選手団 安藤哲平」
のコールに涙が溢れた。
安堵の気持ちの後に、喜びが。
役員の方々に祝福していただきながら、涙は溢れて。
緊張で発表後は倒れこみたくなるほどで。
かつて自分が金賞を受賞した時よりも、喜びと感動は大きいようだ。
それにしても、よくやってくれたという思いだ。
北海道予選の時からしっかりと時間を取って練習させてあげたかったが、会社は待ったなしで製作の依頼が続き、納期に激しく追われる日々。
予選の時は仕事の方を昼間はもちろん、残業も数時間してから、時には日付が変わるまで練習。もちろん翌日の朝は通常通りの時間で仕事は始まる。
全国大会への練習は昼間に、高等技術専門学院で。
その後夜の8時頃に工場に戻ってから、深夜まで仕事をこなした。
体を壊さないように心配しながら、しかし会社を存続させなければ。
gauzy calm worksは人数が増えたとはいえ、フルタイムのメンバーは安藤くんを抜くとわずかに3名。
3名で一人分をカバーするためには、1日2時間の時間延長では足りないのだ。そしてそもそも全体として時間延長が必要なのだから、どうしても厳しい時間の作業になる。
安藤くんも大変だが、まだ若い工場長も相当な重圧を受けて工場を切り盛りしてくれたのだ。
小さな会社で選手を出すことは、ある意味本当に命がけ。
経営者の理解と応援は必須だが、それを支える工場の一人ひとりの協力と努力、理解も必要だ。
それでも多くの関係者が技能五輪にのめり込んでいくことが、16年ぶりに選手から立場が変わって五輪に関わるようになってわかった気がする。
今はまだ次の人材がうちにはいないが、これからも技能五輪に選手を送り続けていきたいと強く思う。
ちなみに、今回安藤くんが持ち帰った金メダル。
僕と原くんのと合わせて、とうとう3個目。
国内有数の金メダル保有企業となった。
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