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2017年5月27日土曜日
2017年5月22日月曜日
9回目 木工キャンプ
最近、頑張ってブログの更新をこまめに。
なんだかんだ多くの方々に見ていただいていて、楽しみにしていると聞くと嬉しくて。
木工キャンプが無事に終了。
今年は3日間とも最高の天気で。
なんと、もはや9回目。
10年は継続しようと言っていたのが、とうとうここまで。
多くの方々の献身的な運営によって継続できている。
僕は、初回は勤め時代。
実行委員に入ったとの報告を社長にする事だけでも大きなハードルだった。
嫌な思いがいつもつきまとって。
2年目は、独立直後。
その後もしばらくは運営にもできるだけ関わって。
セルフデザインの方向を持っていたうえに、直販を目指しているのでバイヤーなどとのマッチングもほとんど求めていない僕。
同世代の活動的な人たちと出会いたいだけのために。
その後、スタッフが増えて会社にしてからは、どんどん運営に関わることができなくなってしまった。
もうその年のうちに実行委員会を結成して会議を重ねていく。
明日、明後日の出荷のためにスタッフ全員夜なべしている時に、なかなか翌年のキャンプの会議に出ていけなくなってしまう。
自分のキャリアとともに経験してきた木工キャンプ。
10年目以降をどうしようという話がいよいよ現実的になてくる。
本当は、10年やろうなんて言って10年後は永遠にこないと思っていた。
IFDAも、僕は旭川に来た1999年が初めてで、10回30年継続を言っていた。
今年、10回目。
18年後が本当に来るなんて思っていなかったんだ。
その間、試作の製作担当というものづくりの最前線で関わってきた。単なる製作担当者から、製作を請け負う経営者に立場は変わっても、身を切る思いで苦しくも立ち向かってきた。
その分、このイベントも試作に立ち向かった他社やその担当者、そして旭川の業界に心から愛情と誇りを持つようになった。
しかしやはり、11回をどうしようという話に。
誰がどこで議論をしているのかわからないが、なんだかもう終わりみたいという雰囲気を感じてた時に、近藤さんが立ち上げた歴史探求会が発足。
その勉強会と議論を通して、家具組合で非公式のIFDA検討会が立ち上がって検討委員に呼んでいただいた。
そしてやっぱり、運営がどうのこうの、内容がどうのこうのと紛糾。
しかしどうしても、一点を明確にして欲しくて。
「大先輩がたは10回30年やりきった、区切りだとか、あとは若い奴が勝手にやればいいみたいな言いようで、とにかく不安なんです。ずっと継続してきた大事な財産を、乱暴に止めてしまうんじゃないかと心配でならないんです。まずは業界トップのお二人が、IFDAの継続を宣言してください」
と会長と理事長に懇願。
「誰がそんこと言ったのよ、そんな風には言ってない」
と怒られつつも、
「だってそう風に感じてるんですもん」
と応酬。
その後の組合の会議か何か公の場で、会長がIFDAの継続を宣言してくれた時は本当に嬉しかった。
自分の事業も、産地の事にしても、とにかく重要なことは何でも継続すること。
木工キャンプも、運営に貢献できていない負い目があるが、10回と言わずに何とか継続していきたい。
なんだかんだ多くの方々に見ていただいていて、楽しみにしていると聞くと嬉しくて。
木工キャンプが無事に終了。
今年は3日間とも最高の天気で。
なんと、もはや9回目。
10年は継続しようと言っていたのが、とうとうここまで。
多くの方々の献身的な運営によって継続できている。
僕は、初回は勤め時代。
実行委員に入ったとの報告を社長にする事だけでも大きなハードルだった。
嫌な思いがいつもつきまとって。
2年目は、独立直後。
その後もしばらくは運営にもできるだけ関わって。
セルフデザインの方向を持っていたうえに、直販を目指しているのでバイヤーなどとのマッチングもほとんど求めていない僕。
同世代の活動的な人たちと出会いたいだけのために。
その後、スタッフが増えて会社にしてからは、どんどん運営に関わることができなくなってしまった。
もうその年のうちに実行委員会を結成して会議を重ねていく。
明日、明後日の出荷のためにスタッフ全員夜なべしている時に、なかなか翌年のキャンプの会議に出ていけなくなってしまう。
自分のキャリアとともに経験してきた木工キャンプ。
10年目以降をどうしようという話がいよいよ現実的になてくる。
本当は、10年やろうなんて言って10年後は永遠にこないと思っていた。
IFDAも、僕は旭川に来た1999年が初めてで、10回30年継続を言っていた。
今年、10回目。
18年後が本当に来るなんて思っていなかったんだ。
その間、試作の製作担当というものづくりの最前線で関わってきた。単なる製作担当者から、製作を請け負う経営者に立場は変わっても、身を切る思いで苦しくも立ち向かってきた。
その分、このイベントも試作に立ち向かった他社やその担当者、そして旭川の業界に心から愛情と誇りを持つようになった。
しかしやはり、11回をどうしようという話に。
誰がどこで議論をしているのかわからないが、なんだかもう終わりみたいという雰囲気を感じてた時に、近藤さんが立ち上げた歴史探求会が発足。
その勉強会と議論を通して、家具組合で非公式のIFDA検討会が立ち上がって検討委員に呼んでいただいた。
そしてやっぱり、運営がどうのこうの、内容がどうのこうのと紛糾。
しかしどうしても、一点を明確にして欲しくて。
「大先輩がたは10回30年やりきった、区切りだとか、あとは若い奴が勝手にやればいいみたいな言いようで、とにかく不安なんです。ずっと継続してきた大事な財産を、乱暴に止めてしまうんじゃないかと心配でならないんです。まずは業界トップのお二人が、IFDAの継続を宣言してください」
と会長と理事長に懇願。
「誰がそんこと言ったのよ、そんな風には言ってない」
と怒られつつも、
「だってそう風に感じてるんですもん」
と応酬。
その後の組合の会議か何か公の場で、会長がIFDAの継続を宣言してくれた時は本当に嬉しかった。
自分の事業も、産地の事にしても、とにかく重要なことは何でも継続すること。
木工キャンプも、運営に貢献できていない負い目があるが、10回と言わずに何とか継続していきたい。
2017年5月20日土曜日
2017年5月18日木曜日
旭川家具の歴史を
実はもう数回開催してるが、旭川・木工の歴史探求サークルというのに参加していて。
家具組合に正式に加盟しているということもあって、発起人に名を連ねてもいるが。
毎回テーマを決めて、どなたかをお呼びしてお話をお聞きするという形式。
本当は7、8人くらいで、居酒屋で卓を囲んで突っ込んでいろいろとお話をというのが理想だけど。
旭川の業界の重鎮やリーダーも。
若手ばかりではない自主的な集まりに深みを増すメンバー構成。
培ってきたブランドのそれまでの歩みを学び、理解して敬意を持つことが今後のブランドの発展に繋がっていく。否定することがあっても。
家具組合に正式に加盟しているということもあって、発起人に名を連ねてもいるが。
毎回テーマを決めて、どなたかをお呼びしてお話をお聞きするという形式。
本当は7、8人くらいで、居酒屋で卓を囲んで突っ込んでいろいろとお話をというのが理想だけど。
旭川の業界の重鎮やリーダーも。
若手ばかりではない自主的な集まりに深みを増すメンバー構成。
培ってきたブランドのそれまでの歩みを学び、理解して敬意を持つことが今後のブランドの発展に繋がっていく。否定することがあっても。
2017年5月10日水曜日
乗り切って
ゴールデンウィーク前の積み込みまでの猛烈なラッシュをなんとか乗り切れて。
4月27日は久々の日付越えの25時すぎまでの作業。
改めて紹介しますが、襟裳出身の沖縄帰り33歳新人の出勤初日に。
28日は梱包部隊と納品部隊に分かれて。
こんな激務の真っ最中に家具センターの展示ブースの移動要請があって、納品部隊が旭川に戻ってそのまま数名増やして家具センターに。
既存のブースの撤去と、2階の新しいブースの設営を。
もう随分とクタクタになって、なんとか連休前の作業を終了。
年明けからの激務の日々もあり、連休は5月7日まで9連休をいただきました。
仕事も大好きだけど、休みも大好き。
僕はと言うと、休み中に趣味の家具作りを。
引っ越しから1年以上、全く自宅のものも作っていなくて。
連休開ければ季節も変わっていて。
ウォルナットの無垢の一本ものの塊を触る機会が。
背割りを入れて、割れ防止。
4月27日は久々の日付越えの25時すぎまでの作業。
改めて紹介しますが、襟裳出身の沖縄帰り33歳新人の出勤初日に。
28日は梱包部隊と納品部隊に分かれて。
こんな激務の真っ最中に家具センターの展示ブースの移動要請があって、納品部隊が旭川に戻ってそのまま数名増やして家具センターに。
既存のブースの撤去と、2階の新しいブースの設営を。
もう随分とクタクタになって、なんとか連休前の作業を終了。
年明けからの激務の日々もあり、連休は5月7日まで9連休をいただきました。
仕事も大好きだけど、休みも大好き。
僕はと言うと、休み中に趣味の家具作りを。
引っ越しから1年以上、全く自宅のものも作っていなくて。
連休開ければ季節も変わっていて。
ウォルナットの無垢の一本ものの塊を触る機会が。
背割りを入れて、割れ防止。
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